無題
「貴方はもっと頑張りなさい」
ずっとそう言われ続けてきた。私は、生まれつき周りの人達よりずっとできなかった。勉強も苦手だった、運動も得意じゃなかった、手先は不器用だった。だから私の周りには誰もいなかったし、友達もいなかったし、時には馬鹿にされた。昔は思っていた気がする。頑張ればいつか絶対努力は報われる、いつか見返すんだと。
私が異変に気付き始めたのは、妹のミランダが小学校に入り始めた頃だ。ミランダはとにかく優秀な子供だった。頭は良かったし、運動もできたし、何より要領が良かった。
「凄いね」と友達。「偉いね」と先生。「よく頑張ったね」とお父さんとお母さん。皆、口を揃えてミランダを褒めた。天才だと、そう呼んだ。
逆に私は、よく比べられるようになった。
「どうしてこんなことも出来ないの?ミランダはすぐ出来たのに」
「姉さんなのにだらしないぞ、もっとミランダを見習え」
「貴方はお姉ちゃんでしょ、ならミランダよりちゃんとできないと」
「努力が足りないんだ、もっと頑張れ」
私は頑張っていたつもりだったけれど、それでも足りないと言われた。だから私は頑張った、頑張ればミランダみたいになれると信じていたのだ。あの頃は。
今日は帰ってきたテストの点数が良かった。漸く努力が報われた気がした。だからお母さんに自慢しようと思ったんだ、私はこんなに頑張ったんだって、だから褒めてと、そう伝えたかった。
「お母さん、私、テストで初めてこんなにいい点数を取ったんだ。私、頑張ったんだよ」
だから、褒めて
「そう」
そうお母さんが微笑んだ。柔らかくて、あたたかい手が私の頭を撫でた。
「よかったわね」
それだけだった。
思考が停止した。頭の中が真っ白になって、全てが抜け落ちていく気がした。
「ただいま!」
「ミランダ、おかえり。テストどうだった?」
「うん、全部満点だったよ」
「本当に?よく頑張ったわね、ミランダ」
私は逃げるように部屋に戻った。
もう1度握りしめたテストを見返した。私は頑張ったけど、頑張ったことは結局誰にも見られていなかった。努力したはずなのに、その努力を見返すのが辛くて、そのテストをくしゃくしゃに丸めてゴミ箱に捨てた。ミランダが部屋に入ってきたけど、一言二言、何か言いかけて出ていった。その瞬間、私の心の中には何か、痛くて苦しい、どろどろとした何かが広がっていった。
「…姉さん、一緒に帰ろう?」
次の日の放課後、ミランダはそう声を掛けてきた。けれど私は無視して、黙って歩き続けた。私は背が大きかったから、ミランダはその後ろを小走りになって着いてきた。
「ねぇ、姉さん、待って、待ってよ」
その声が、私に付き纏うその顔が、ひたすらに煩わしく思えてしまった。
「…もう、私に付き纏うのはやめてくれ」
頭の奥で、私をせき止めていた何かが壊れる音がした。
「…ミランダはずるい。ミランダばっかりお父さんとお母さんに愛されて、ずるい。私だって頑張ってるのに、お父さんとお母さんは私のことを見てくれない」
「ね、姉さん、そんなこと、」
「違う、違う!ミランダの、ミランダのせいだ。ミランダがいるから、私のことは誰も見てくれないんだ。ミランダなんて、嫌いだ!」
洪水のように、どろどろとした感情が零れ出て、柄にもなく大声を上げて叫んで、涙が勝手に流れてきた。
居なくなればいいのに、そう一瞬でも思ってしまって、はっとしたときミランダは目を見開いていた。信じられない、そんな顔だった。私はどうすればいいかわからなくなって、その場から逃げ出した。
それからどうしていたのかはあまり覚えていない。ただ本当に、私は最低だと思った。ミランダは悪くない、私が出来ないのが悪いのに、それをミランダに当たってしまった。けれど謝ろうとしても上手く声が出なくて、一言も会話を交わさないまま夜になった。ベットに潜り込んでも、ミランダの事が気掛かりで眠れなかった。
そうしてベットの中で丸くなっているうちに、少し喉が乾いたから、水を飲もうとリビングへ向かった。リビングには明かりがついていて、お父さんとお母さんの話し声が聞こえた。…私はドアにそっと近づいて、耳を傾けた。
聞いてはいけない、そう警鐘を鳴らしていたが、聞いてしまった。
「…それにしても、どうしてオードリーはあんなに出来ないのかしら。同じ姉妹なのに、ミランダとは大違い」
「2人を比べるな、だってミランダは特別なんだから」
私の中にある何かが壊れた。鈍器で思い切り後ろから殴られて、私という存在そのものが全て潰れた気がした。
私のしてきたことは全て無駄だったのだ、私のした努力は全て意味がなかったのだ。だって初めから、私は期待されてなかったのだから。
どれ程努力しても、私はミランダにはなれないんだとそう現実を突きつけられて、私はお父さんにもお母さんにも愛されないんだと気付いて、私はただ、静かに涙を流した。
「ごめん、ミランダ。昨日は酷いことを言って」
「…ううん、私こそごめんね。姉さんがそんなに苦しんでいたなんて、私気付かなくて…本当にごめんね」
「いいんだ、ミランダ。ミランダが褒められたら私も嬉しい、だからもっと、これからも頑張ってくれ」
私は一生、役立たずのままでいようと思った。私が暗ければ暗いほど、ミランダはより1層眩しく、明るく見えるんだ。引き立て役でも構わない、一生誰にも愛されなくても構わない。
だってミランダは私の大切な妹なんだから。
無題
「ミランダは天才ね」
それがいつも私に向けられる言葉だった。自分で言うのも何だけれど、私は昔から勉強は得意だったし、運動も得意だったし、要領がよかった。幼心ながら、私は周りの皆より優れているんだと悟っていた。友達は皆、私を凄いって言ってくれたし、先生は偉いって褒めてくれたし、お父さんとお母さんは頑張ったねって褒めてくれた。子供の頃の私は、皆にちやほやされて、持て囃されるのがただ嬉しかった。だから頑張った。頑張れば、皆が褒めてくれるのが当たり前だったから。
何より姉さんが褒めてくれるのが嬉しかった。
「ミランダはいつも頑張ってて、凄いなあ。自慢の妹だよ」
大好きな姉さんにそう褒められて、私は鼻が高かったし、もっと頑張ろうと思った。
だから気付かなかったのだ、姉さんがどれだけ苦しんでいたか。
異変に気付き始めたのは、小学校に入り始めた頃だ。お父さんもお母さんも、姉さんを褒めなくなった。いや、褒めていないわけじゃなかったけれど、私と明らかに態度が違っていた。私のことは「凄いね」とか「よく頑張ったね」とか、そう褒めてくれるのに、姉さんはどれだけ頑張っても褒められなかった。確かに、姉さんは人より凄いとは言えなかったかもしれないけど、姉さんは頑張っていた。それは私が何より知っている。なのにどうして、姉さんのことは頑張ったねって、褒めてあげないんだろう。私はただ首を傾げた。
そして少し後の話、私たちは別々に帰った。いつもは一緒に帰っていたけれど、私は友達に誘われたし、姉さんはテストの結果が良かったからお母さんに早く見せたいって、そう言っていたから私は姉さんより遅れて帰った。
「ただいま!」
「ミランダ、おかえり。テストどうだった?」
「うん、全部満点だったよ」
「本当に?よく頑張ったわね、ミランダ」
そう私を褒めたお母さん越しに、俯いて立ち尽くす姉さんがいた。姉さんはどうしたんだろう、テストを見せたはずなのに。すると姉さんは俯いたまま、足取り重く部屋に戻っていった。
姉さんはベットの上で膝を抱えていて、見せたはずのテストは、ぐしゃぐしゃになってゴミ箱の中だった。
私はとっさに声をかけようとしたけれど、結局何も言えずじまいだった。どんな言葉をかければいいか、分からなかったから。私は部屋から逃げた。痛いほどの沈黙が、私を責めているような気がしたから。
「…姉さん、一緒に帰ろう?」
次の日の放課後、私は姉さんに声を掛けた。気まずかったけれど、何かを伝えたかった。けど姉さんから返事はなくて、黙って一人で歩いていってしまった。姉さんの1歩は大きい。まるで置いていかれる気がして、私は小走りになってひたすらに追いかけた。
「ねぇ、姉さん、待って、待ってよ」
ふと、姉さんの足が止まった。やっと聞いてくれた、そう思った。
「…もう、私に付き纏うのはやめてくれ」
私の足も、止まった。
「…ミランダはずるい。ミランダばっかりお父さんとお母さんに愛されて、ずるい。私だって頑張ってるのに、お父さんとお母さんは私のことを見てくれない」
「ね、姉さん、そんなこと、」
「違う、違う!ミランダの、ミランダのせいだ。ミランダがいるから、私のことは誰も見てくれないんだ。ミランダなんて、嫌いだ!」
ガツンと、頭を殴られて、ようやく現実に目が覚めた気がした。不思議だった、今までずっと姉さんと一緒にいて、姉さんのことは何でも知ってるつもりだった。なのに、姉さんがこんなふうに泣いてる姿を初めて見た気がした。そして姉さんは、走り去っていってしまった。
私を置いて
私は姉さんに置いていかれた
姉さんは私のことが嫌いだ
姉さんは、
姉さん
それからどうやって私が家に帰ったのか、覚えていない。ただ、本当に、私は最低だと思った。姉さんの苦しみも知らず、一人でのうのうと生きて、愛されて。私は馬鹿だ、大馬鹿だ。姉さんのことを何でも知ってるつもりで、何も知らなかった。私のせいで姉さんは苦しんだ、私の。私は一人ベッドの中で、声を押し殺して泣いた。姉さんはいつもこんな気持ちだったんだ、そう気付いて、心が痛くて、悲しくて、私は。
「ごめん、ミランダ。昨日は酷いことを言って」
姉さんが謝ってきた。昨日の気まずさが、嘘みたいに。
「…ううん、私こそごめんね。姉さんがそんなに苦しんでいたなんて、私気付かなくて…本当にごめんね」
「いいんだ、ミランダ。ミランダが褒められたら私も嬉しい、だからもっと、これからも頑張ってくれ」
うん、私、頑張るよ、姉さんのために。私の全ては姉さんに捧げよう、私は姉さんのためだけに頑張ろう、私は姉さんを守るために何でもしよう。
これは今まで馬鹿に生きてきた私がしなくちゃいけないことだ。今まで私が与えられてきた愛よりももっとたくさんの愛を、姉さんに。例え私が死んでも構わない。
だって姉さんは私の大好きな姉さんなんだから。
語り継がれた英雄譚 14話
―国立狩人育成学校。読んで字の通り、狩人になる為の知識を学ぶ教育機関である。10を超えていれば誰でも入学することができ、国の支援の元、8年間の就学の末に最終的には卒業と同時に狩人の身分証明徽章を与えられ、初めて狩人を名乗ることを許される。
入学して3年はオーウォーランク、次に3年間はプルスランク、最後はアウェスランク、と入学してからの経験、知識、履修内容によってこのランクに分けられ、その中でまた1期生、2期生3期生と区別される。一期生につき3クラスに分けられ、座学成績により上からA、B、C、となる。
プルスランクからは「専攻」と呼ばれるコースを選択する。刀剣専攻、打撃専攻、射出専攻、長柄専攻、武術専攻、魔法専攻…と自分の能力に最も適した力を身につけるのだ。
「サンザシは、魔女の木と呼ばれる。その魔力は、蜂や蝶や小鳥、妖精を惹きつけるんだ。だから道を知る魔法、妖精の幻覚を見破る魔法など、妖精を呼び出し、その力を借りる為によく使われる」
初夏のぎらぎらと突き刺すような日差しが教室内に注ぐ。開け放たれた窓から吹き込む風は、とうに涼しさを乗せたものではなく、熱を纏った生暖かい空気だ。窓際二番目、後ろから二つめの席。重さを感じさせるような熱い風に、僅かに揺れる青髪と耳飾りがあった。机の上に広がる教科書とノート、ただし紙の上には放射状に青い髪の毛が散乱し広がっている。
「次にこれはヘンルーダ。低木のハーブで、コカトリスやバジリスクなどの石化魔法を解除し防ぐ力が―おい、レミィ」
教鞭を取っていた大人が、板書をしている生徒達を見渡し不意に動きを止める。普段から「猛禽類のようで怖い」と称される細く釣り上がった目は更に険しく、眉間にしわが寄っていた。その視線の先にいるのは、青い髪の少女。
「…おい、レミィ!起きろ!」
食後の、少し微睡みのある穏やかで緩やかな空気を、びりびりと圧力のある重低音が打つ。微睡みの波の中船を漕いでいた数人の生徒が、雷に怯える子どものように反射で身体を跳ねさせる。レミィも例外ではなく、「はっ!?ひゃい!?」…と情けない、寝惚け声を上げて、机に突っ伏していた頭を一気に上げた。
「…おい、レミィ。俺の薬学の授業で寝るとはいい度胸だな。」
細い、脅迫するような目で睨まれ、レミィはまさに蛇に睨まれた蛙だった。
「へっ…あっ…すいません…」硬直し視線を逸らすこともできなかった。何か冷たいものが背筋を伝うのを感じながら、乾いた唇からか細い謝罪の声を零した。
「前の授業の時も寝やがって!お前の評定下げてやるからな!」
「そっ…そんな…!ただでさえテストはいい点数取れないのに…!」
「自業自得だ!」
すっかり気落ちし、外の暑さにふさわしくないほど顔を青ざめたレミィと、そんな二人のやり取りを見て悪意の篭らない、軽い笑い声が教室に響く。
「全く…。さて次は…バーチについて解説する」そういった途端、空気が震えた。物々しい、陰気な風がじっとりと皮膚を這いずり、湿った綿のように重い雲が太陽を覆った。もう獅子の月だというのに、吹き込んでくる風はじんわり生暖かく、それでいて氷のような冷たい悪意を運ぶ。
誰もが、不安にざわめいた。ただの杞憂であってくれと願った。しかし現実は、残酷にも告げられた。
「学校領域内に、不特定多数の魔物の出現を確認した」