語り継がれた英雄譚 3話
冷たい風が頬を撫ぜる。胸を過ぎる不安に急かされるように、レミィとレイは少し駆け足で村の中を走り抜けた。誰も居ないのだろうか、子どもたちの笑い声も、女たちの噂話も、何も。鳥の鳴き声さえ聞こえない。その異様な状況に言い知れぬ恐怖を覚え、真っ先に2人が目指したのは自分たちの帰るべき家だった。穏やかで幸せな、日常の象徴であり、あそこに帰れば、また日常が訪れるものだと漠然と信じていた。
白壁の家が並ぶ通りを抜けて、突き当たりの角を右に曲がる。その先で2人が見たものは
本来あるはずのない角を生やした男
男を取り囲む大人たち
そして血溜まりの中の
「…お父さん…?お母、さん……?」
ほんの数時間前まで、生きていたはずの、肉塊と化した父と母の姿だった。
「!レミィちゃん!?レイ君!?」
杖を構え、男と対峙していた女―レイの師アトリア・ハーバードは驚いたような、焦ったような声で2人に呼び掛けた。だが、返事が返ってくることはなかった。
レミィは動かなくなった両親を見つめたまま呆然と座り込み、レイは初めて対峙する凶悪過ぎる存在、『魔王』への恐怖から目を逸らすこともできず震えたまま固まってしまった。
空一面に広がった暗雲はいよいよその暗さを増し、やがて一つ、また一つと小さな雫が落ちてきて、涙雨が頬を伝った。
「おとうさん、おかあさん」
蚊の鳴くような呟きだけが、静かに雨音に溶けていった。
降り出した雨はいよいよ本降りになって、雨粒が激しく打ち付ける。濡れぼそった髪から雨が滴る中、やがて少女はゆっくりと立ち上がった。そしておぼつかない足取りで、一歩ずつ異形の男に近付いていった。俯いたままで表情は見えないが、どことなくこの雨のような、冷たく刺々しい雰囲気をまとっていた。誰も動けなかった。なぜなら、魔王より、背丈の半分ほどしかない少女の方が彼らにとって恐ろしく感じられたからだった。
そして少女は魔王に対峙した。
「俺が、憎いか」魔王はそう尋ねた。だが返事が返ってくることはなく、ただレミィは俯いていた。
「心配せずとも、お前もすぐ両親の所へ送ってやる」
爪の長い、大きな手がレミィの頭を鷲掴みにした。爪が皮膚に食い込み血が伝い、小さな頭はみしり、と音を立てた気がした。
ばきっ
骨の砕けた音が、辺りに響き渡った。